発達障害と優生学
最近通学中にフリー百科事典『Wikipedia』を読むことにはまっています。「優生学」のページを読んでいたところ、発達障害に関連する興味深い内容があったのでツイートしました。
人の優劣は定義できない
- 何が劣っていて、何が劣っていないかに関する科学的なコンセンサスは存在しないし、それは社会または個人の選択を超えた問題である。
- ある条件において劣っていると見なされるものは、別の条件では劣っているとは言えない。例えばマラリア病原虫や結核菌に対する抵抗を示す遺伝子は、ヘテロ接合型である場合には病気に対する抵抗性を持つ働きをするが、ホモ接合型である場合には鎌状赤血球症やテイ=サックス病を引き起こすという事例がそうである。
- 障害を抱えながら成功する人は少なくない。
- ニコチン酸欠乏症やハンセン病など、初期の優生学が遺伝として見なした症状の多くは、現在では完全または部分的に遺伝以外の原因で起こることが判明している。 出典:優生学 - Wikipedia
優生学というとナチスのイメージが強く、現実味のなさからあまり興味を持っていませんでした。でも「社会にとって障害者とは?」を考えるという点で「優生学」の歴史を学んでみるのもいいな~と気づかされました。
仮にある障害者が犯罪を起こしたとしても、成功者になったとしてもそれは障害者全員に当てはまることではない。
— S-kindle☽ASD☘アスペルガー大学生 (@shotaro_kindle) 2019年7月14日
だから「障害者は劣っている」に対して「この偉人は障害者だ」と反論しても言ってることは同じ。
そもそも何をもって劣っているとするかは定義し得ない(してはいけない)。#発達障害
個人的選択として「障害者を産みたくない」があっても社会が「障害者は産むな」と言ってはならないように「個人が選択すること」と「社会が決めるべきこと」は違う。
— S-kindle☽ASD☘アスペルガー大学生 (@shotaro_kindle) 2019年7月14日
悪意はなくとも、上手く説明出来なければ優生思想に誤解されかねないのが #発達障害 の難しさなのかも知れません。
まとめ
- 「優生思想はナチス!あり得ない考えだ!」という考えは間違っている。
- 優生思想は単なる差別とは異なり、悪意があるわけではない。
- 「個人が選択すること」と「社会に属する者としての正しい選択」は異なる。
- 差別するつもりはなくとも、一歩間違えると優生思想になってしまう。
- 何が劣っていて何が劣っていないかは分からなくて当然である。
- 個人的選択として「障害者を産みたくない」があっても、他人に「障害者は産むな」という考えをおしつけてはならない。
- 優生思想はいつ起こってもおかしくない。
「内なる優生思想」は誰にでも存在する。だが、「優生思想は正しい」と考えている人にはこう問いたい。
「あなたが『優生思想の下で生き残る人間』である根拠は何ですか?」
電子書籍について
「教養」としての発達障害(ASD&SAD): 『発達障害』は社会の在り方を問い直す重要なテーマである
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「何で電子書籍を出したのか?」「出してみてどうだったか」などについてはまたの機会に紹介したいと思います。