「発達障害」は社会問題であり、多様性であり、アイデンティティである
知識が良識ある判断においては妨げになることがある
「発達障害」は障害でもあり、社会問題でもあり、多様性でもあり、個性、概念、思想、アイデンティティでもある。
僕は「当事者それぞれの特性」の話と「発達障害の捉え方」の話は別枠として考えるべき、とTwitterを通して気づくことが出来ました。
特に服薬、当事者が困っていることについての話では頭の中にある「自閉スペクトラム症(ASD)」や「注意欠如・多動症(ADHD)」の知識ではなく、当事者の声を基に考える必要がある。
知識・常識が邪魔になって当事者の声が届かないことが今まで数えきれないほどあったのではないか。
- 今の常識は昔の非常識
- 今の非常識は未来の常識
なんてことは、科学の世界でも普通にあるのです。
次に引用しているのは理論物理学者「アルベルト・アインシュタイン」の名言です。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.
常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである。
Imagination is more important than knowledge. For knowledge is limited, whereas imagination embraces the entire world, stimulating progress, giving birth to evolution.
想像力は知識よりも重要である。知識に限界があるが為に、想像力が世界をとりまき、発展を刺激しつづけ、進歩に息を吹き込みつづけているのだから。
「知識でしか物事を判断できない人は想像力がない」
「知識が良識ある判断においては妨げになることがある」
僕はよくこれで痛い目に遭っていますが、
一つ目の名言に至ってはアインシュタインの名前を出すまでもなく広く浸透している印象です。
発達障害は「治す」ではなく「直す」もの
- 発達障害は風邪や病気とは異なり特性であり、決してあってはならないものではない
- 病気だから普通でない人、なのに治療しないのは甘え、という認識が存在する事実は一当事者として恐ろしい
- 発達障害は脳の特性だから無くすものではない
- 特性を「和らげる」ために薬を飲むことはあっても、それは発達障害をなくすためではない
向精神薬が心身に与える影響は多岐にわたる
僕は中2から大学1年の6月頃まで3種類の薬を服用してきました。
その中でも高3から大学1年まで服用していた「リスペリドン」は僕にとって受験時代の象徴でもあります。
トラウマとは違いますが、リスペリドンを飲むと受験時代の精神感覚になる気がします。薬の服用を止めた話については電子書籍でも紹介しています。
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これは薬の服用を止めたから言っているだけですが、薬を飲んでも心身の健康が改善されないとしたら、今まで何の疑いもなく飲んでいた薬が原因かもしれない。
「薬が合っていない」わけではなく、「どん底の気持ちのときに薬を飲んでいたから、薬によってそのどん底の気持ちを思い出してしまう」というのも考えられる話ではないでしょうか。
これは決して断薬を進めているわけではないですが、
当時の自分みたいに「薬を飲む前の小学生時代は精神的に荒んでいたから、本当に病院行ってよかったなあ、でも、このまま薬を貰い続ける生活なのかあ。」と思い込んでいる方の参考になれば嬉しいです。
- 薬を飲む前:早くから飲んでれば...
- 辞めた後:もっと早くからやめていれば
向精神薬が心身に与える影響は多岐にわたるな、と実感しています。
ADHD治療薬はスマートドラック?
集中力を高め、勉強や仕事の効率を高めると称する「スマートドラッグ」なるものが流行しつつある。海外だけでなく、日本からも比較的容易に入手可能なものもある。
半端に知識がついてしまうと、「人間は結局、脳内物質に支配されている動物さ」とかうそぶきたくなりますが、薬で支配しようとするのも考えようだと思いますね。
「試験前に健常者がADHD治療薬を服用するのは不正行為か」と話題になったことがありましたが、当事者は特性を和らげて健常者と同じ割合の実力を発揮するために薬を飲んでいるわけで、ドーピング行為ではない、ということを理解してもらいたいです。
- スマートドラックは健康被害の恐れがあるため、現在輸入は規制されている。
- そもそも薬はスマートドラックとして開発されたものではない。
- 薬を適切に服用し続けることは決して薬の力に依存しているのではない。
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