発達障害者は「他人本位」になりがち?「自己本位」と「自己中心」は違う。
則天去私という生き方 心理学からスピリチュアリズムへ【電子書籍】[ 三沢直子 ]
自閉スペクトラム症(ASD)には5つのタイプがある
ASDは大きく5つに分類できると言われています。
- 積極奇異型
- 孤立型
- 受動型
- 尊大型
- 大仰型
「発達障害は千差万別」
「診断名や分類ではなく当事者本人の声を優先するようにしよう」
という考えを持つ方にとっては賛否両論がある印象ですが、あくまで実際に表れている性格や行動といった特徴を分類したものであり、曖昧な概念であると僕は解釈しています。
僕自身は分類そのものにそこまで意味はないと考えています。
発達障害、アスペルガーを理解する上では有益なものであるが、これはASDの特性を第三者の立場から分類したものであり、
環境や精神状態(躁鬱など)によって容易に移り変わるものであると。
Twitter上では「いや、全部当てはまるけど...」「息子は完全に受動型だ」「積極奇異型だったが受動型、孤立型に移り変わっていった」という声が散見されました。
これらのタイプは固定されたものではなく、成長とともに経験や学習をすることで、変わっていくこともあります。特に、子どもの頃に「積極・奇異型」だったのが、多くの苦い経験を学習して孤立型や受身型になっていくことは多く見られます。
出典:https://hope.mark-no-juku.com/lshope/2018/11/07/post-503/
【積極奇異型】
- やらない後悔よりやって後悔
- 行動を起こすだけでも自分の糧になる
- アスペルガーと聞くとこれを連想する方が多いのではなかろうか
【受動型】
- 受動的で従順である
- 周りに言われたことをやっていれば問題ない
- 普段からやり慣れていることしかしたくない
【孤立型】
- 他人との関わりを避ける
- 人と関わっても楽しく感じないし苦痛でしかない
【尊大型】
- 孤立型の発展形
- 何でも他人のせいにする
- 自分の主張を押し切る形でしかコミュニケーションがとれない
【大仰型】
- 孤立型の発展形
- 形式ばった関わり、言葉遣い
- ルールにこだわり、自分にも厳しい
ASDに限らず「外交的だけど自己主張はない」「内向的だけど活動そのものには精力的」とか色々ありますよね。
僕は「積極奇異型」だったか、または「積極奇異型」だったことはあるかは断言できませんが、「外交的」「内向的」で言えば確実に後者だと自覚しています。
「ハイになる」「躁状態になる」ことがあっても、それで「他人に話しかけたい」「喜びを分かち合いたい」とか思ったことがないからです。
内向的・外交的は生まれつきだなと痛感しました。
むしろ「外交的」と「ASD」は相反している要素があるから「外交的なASD」の方が大変だな、とも思います。
自己矛盾を受け入れる
一貫した自分でありたいというのは他人の目を気にしているからに過ぎないのではないか。
「せっかちだけどだらしない」
みたいな自己矛盾を自覚している人は自己矛盾を欠点と見做して自己嫌悪に陥ってしまう傾向にある。
しかし、人間は常に変化するものなんだから自己矛盾なんて常にあるものです。
「真面目な人間は鬱になりやすい」と言われています。
「他人の評価」「平均値」を過剰に意識する「他人本位」に陥り、
変わりたいと思っても、それは「現状に不満を示すことになってしまう」と抑え込んでしまう。
発達障害・ASDのあることを自覚している方は自己中心的であることを恐れるあまりに「他人本位」になってしまう、これは「発達障害あるある」だと思います。
でもそれは発達障害・ASDの強みを抑えることになり、自分の才能に気づく機会が失われることになるのではないか、
「他人本位は発達障害者にとって、自己肯定感を失い続ける負のループになり得るのでは」と考えています。
発達障害でない方(定型発達)は発達障害のある方の行動が理解しがたいように、発達障害者が普通に合わせるのにも限界があるのです。
ASDは「感情表現が苦手」という特性があるため自分の本心を軽視してしまい、何でも正しいか否かで考えてしまう傾向があります。
— S-kindle☽ASD☘アスペルガー大学生 (@shotaro_kindle) 2019年6月19日
一番問題なのは自己肯定感が低いと常に「自分は間違っている」と考え、何をするにも他人に従い本心を抑え続けるような負のループに陥ることだと思います。#発達障害
夏目漱石の『自己本位』『則天去私』
一人一人生まれ育ってきた環境は違うのだから、「他人の考えが理解できない」ことなんていくらでもある。他人の考えを完全に理解していることなんて肉親を含めても限られているだろう。自分の考えを持つこと、主張することは権利であり、同時に他人の信じる考えを尊重することは人としての義務であると。
- 「自己本位」な人は信頼される。
- 「自己中心」「他人本位」な人間は信用されない。重要視されない。
あまり好きな表現ではないですが、「自己中心」「他人本位」は「人として『何か』が欠けている」というやつですね。
「自己本位」は夏目漱石が言った言葉です。「牛耳る」「則天去私」なんかも夏目漱石の造語らしいですね。
【自己本位】とは
そんなもやもやを抱えていたある日、これは日本と英国の文化や風習、気候などあらゆる違いから起因するもので英国が正しく、それを理解できない日本が正しいというわけではないと悟る。そして、自分の考える文学というものは自分で一歩ずつ積み上げていかなければならないと決心する。そうして、30前後で初めて自信をもって自分の道を切り開いていけるようになった。こうした生き方を「自己本位」と呼んでいる。ただし、自分が正しいと思う道を進む者は同時に他者に対しても彼が自分が信じる道を進むのを遮ってはいけないといっている。それが権利と義務であると。自分勝手に振る舞うことは自己本位とはまるで違うということ。
自己本位とは、「自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行く」ことであると述べている。さらに、自己本位にとどまらず、他人の個性をも尊重すること。これが漱石が言う「個人主義」と考えることができる。一方、日本文化に関しては、漱石はたとえそれが外発的なものであっても、「上皮を滑ってゆく」ものであったとしても、そうした開化は避けられないと考えていた。
【則天去私(そくてん-きょし)】とは
小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。▽「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。夏目漱石そうせきが晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。「天てんに則のっとり私わたくしを去さる」と訓読する。
三島由紀夫と夏目漱石のナルキッソスたち (精神科医から診た“自己愛”)[本/雑誌] / 中広全延/著
- 環境が変われば考えも変わる
- 他人を完全に理解していることなどあり得ない上、相手の意図など知るよしもない、だからこそ互いに尊重しなくてはいけない
他者本位で自己肯定感が低い人にはなりたくないですよね。
(あくまでも個人的見解です)