アスペルガー大学生

略歴:1999年生まれ。北海道出身。東京に住んでいたこともある。中学校2年生のときに自閉スペクトラム症(ASD)、社交不安障害(SAD)と診断される。2022年現在診断名はアスペルガー症候群(ASD)のみであり、スキゾイドパーソナリティ障害の可能性もあると考えている。小学生時代に2度の引っ越しと両親の離婚を経験している。一年の自宅浪人を経て北海道大学に入学する。2018年2月28日からアマゾンkindleに電子書籍配信。Twitter:@ShotaroKindle

【自閉スペクトラム症(ASD)】「察する能力」とは何か

 

ASDは「察する能力=被害妄想」に陥りがちなのが悩みどころです。

このことを打ち明けても「ネガティブ思考なだけでは?」「考えすぎ」と言われるのが関の山でしょう。

 

 

「察する能力」ってなんだろう

 

  • 察する能力、あるいは察させる能力がある人は「やばい」「まずい」「寒い」「暑い」と一言いうだけでも十分なコミュニケーションが取れる。
  • 察させる能力が低い、あるいは周りの察する能力が低いと、同じ「やばい」でも単なる独り言として流されてしまう。

 

これらはいわゆるKY、最近では陽キャ」「陰キャ」「コミュ障といった言葉で(ハイコンテクスト的に)片付けられている印象がありますが、これはハイコンテクスト社会を前提としたコミュニケーションとしての側面が強いのでは、と個人的に思います。

 

多様な文化が存在し、前提となる考えが異なるケースの多い欧米諸国は言語能力、論理的説明力を重視する「ローコンテクスト文化」なのに対して、 前提となる考え(言語・共通の知識・価値観)が異なることが少ない日本は説明力よりも意図を察しあう能力、情報のスキャン能力が相対的に重要視されている「ハイコンテクスト文化」であると言われています。

【価値観の多様性】ハイコンテクストとローコンテクストについて - アスペルガー大学生

 

  • 「察する能力の低い人」が多数派、ローコンテクストの傾向が強い場合は察する能力の高い人が肩身の狭い思いをすることになる。
  • 逆に、ハイコンテクストの傾向が強い場合は「察する能力の低い人」が肩身の狭い思いをすることになる。

 

言葉の「重み」

 

皮肉を込めて言うと、ハイコンテクスト社会では、「やばい」という言葉には様々な意図や感情が含まれている重みのある言葉だが、ローコンテクスト社会では意味のない独り言としか認識されない。

 

ローコンテクストの傾向が強い社会においては、相手の「やばい」の重みを測定する力、いわゆる「察する力」が発達しておらず、日頃から論理的説明力でコミュニケーションを行う習慣があるために、コミュニケーション能力が低い人種として扱われてしまう。

 

K=「空気」、Y=「読めない」で、「空気が読めない」という意味である。あるいは、直接「KY」と忠告すると、「空気を読め」という意味になる。2006年ころから女子高生言葉として使われ、07年夏の参院選で大敗したのにすぐに辞めなかった安倍内閣を「KY内閣」と評したことで一般的流行語となった。

KY(KY/けーわい)とは - コトバンク

 

 

「コミュニケーション」と「情報伝達」は違う

 

コミュニケーションを日本語で言うと情報伝達となるが、ASDはメタコミュニケーションが分からないために、コミュニケーションを文字通り情報伝達としか意義を見いだせていない。

 

ASDは「ゲーム脳」「プログラミング脳」に通じるものがあると以前紹介しましたが、傍から見れば、あたかも相手には意志がないかのように振舞ってしまう、これはASD独特の感性なのかもしれません。

 

まるで「ゲームで村人に話しかけるような」一方的なコミュニケーションしか取れていないのではないか、とも思います。

 

「情報伝達」ではなく「情報共有」「意思の疎通」と表現するべきなのかもしれません。

 

kindle-asd.hatenablog.com

 

発達障害者は「自分が我慢すればすべて解決する」に陥りがち

 

当然と言えば当然のことですが、自分にとっては都合の良い考えだとしても倫理上問題のある考えというのは誰にでもあるだろうと考えています。その典型的な例は、自分が理解できない対象に対してレッテルを貼る行為といえるでしょう。

 

例えば「自分に合わないと直感的に感じた相手は切り捨てる」といった行為は自分を守る行動ですが、これもある意味「レッテルを貼る行為」とも言えてしまう。論理的矛盾、自己矛盾を嫌う傾向にあるASDADHDなどの発達障害者はこれを「自己犠牲」という形で解決しようとしてしまう。

 

「自分が我慢すればすべて解決する」という心理ですね。

 

自他境界がはっきりしているASDはこのような私的な思考・公的な思考の切り替えができない自己矛盾を意識しすぎてしまうことが原因で、相手との距離感がつかめない、意思の疎通がうまくいかないといった発達障害者にありがちな問題が生じるのかもしれないのでは、思います。

 

「これは状況が違うから許される/許されない」といった「思考の切り替え」を意識することが特にASDにとっては重要なライフハックだと思います。

 

 

グローバル化」「少子高齢化による労働人口の減少」「女性の社会進出」「IT化」「精神障害者雇用問題の発覚」なども相まって、現代は「多様性の時代」と言われています。でもだからといって、「多様性の時代」だからノイジーマイノリティのように「言ったもの勝ち」「主張した者勝ち」というわけではありませんよね。

 

ダイバーシティマネジメントという言葉もありますが、今や文化的側面・経済的側面からも「多様性」を考えざるを得ないようになった、もはや「多様性」そのものに需要がある、と僕は個人的に解釈しております。

 

ダイバーシティマネジメントとは、組織を構成する人材のもつそれぞれの個性(違い)を受け入れ、一人ひとりがその能力を発揮できる体制と環境を整え、組織の生産性を上げることです。

ダイバーシティとは、「多様性」を意味します。属性の違いは人種や性別、年齢や国籍、身体的特徴(身体障害者も含む)だけではありません。生活環境、バックグラウンド、宗教、生き方や価値観、性格や嗜好なども含まれます。また、働く条件についての違いも多様化の要素です。雇用形態、働く時間や場所の違いもダイバーシティの一部となります。

https://www.reloclub.jp/relotimes/article/11837

 

異なる概念・価値観を伝える能力が本来のコミュニケーション能力であるとするならば、ハイコンテクスト社会の「察する能力」はコミュニケーション能力とは別物であり、コミュニケーションのためのコミュニケーション、いわゆる「メタコミュニケーション」なのではないか

【価値観の多様性】ハイコンテクストとローコンテクストについて - アスペルガー大学生

アスペルガーは察することが苦手、感情を軽視する、メタコミュニケーションが苦手、という傾向がありますが、根本には「価値観の共有ができない」があるのでは、とも思いますね。

【価値観の多様性】ハイコンテクストとローコンテクストについて - アスペルガー大学生

文化的に豊かではあるが、均質化された社会である日本では集団浅慮に陥りがち。論理的説明力よりも「察する力」が重視されるという点で日本社会はいわゆる「ハイコンテクスト文化」に分類されているが、ポジショントークと忖度に飽き飽きしている人も大勢いることだろう。

 理性とは感情のカテゴライズ能力であり、論理のキュレーション能力である。 - アスペルガー大学生

 

 

 

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