最小限の自己否定から最大限の自己肯定を生み出す方法
「論理」「倫理」「理論」の違い
「論理」「倫理」「理論」の違いを説明しろ、と言われて説明できる人は限られているのではないでしょうか。論理はロジック、倫理はモラル、理論はセオリーであり、全く別の概念です。
より身近な例で言うと、規則(ルール)と論理(ロジック)も混同しがちでしょう。
自己矛盾、理不尽さに敏感だと言われるASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー)はルールとロジックの区別、ができるかどうかが自己マネジメントにおいて特に重要であると個人的に考えております。
発達心理学的に見ても「人は感情のカテゴライズにより、多くの情報を意味あるものとしてインプットすることが出来るようになる」と言えるでしょう。
理性とは感情のカテゴライズ能力であり、論理のキュレーション能力である。 - アスペルガー大学生
アスペルガーは全てを包括する完璧な論理を求めてしまいがちなため、分類する、区別することを嫌うという傾向は少なからずあるのではないかと僕自身は認識しております。 ※「区別する」と考えるより「タグを付ける」と考えた方がいいかも知れません。 そんなわけで、自分の論理を優先するあまり都合の良い悪いことは考えない、あるいは間違っていると決めつけるといった本末転倒な考え、いわゆるストローマン論法的思考に陥りがちであると。
理性とは感情のカテゴライズ能力であり、論理のキュレーション能力である。 - アスペルガー大学生
エコノミーとエコロジー
- エコノミーは共同体の規則
- エコロジーは共同体の論理
というわけですね。
つまり、「規則と論理が全くの別物である」のは「エコノミーとエコロジーの関係」を見れば自明のことなのです。
以前スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんについて記事を書きましたが、ASDが覚える矛盾や理不尽さに対する怒りというのは環境問題に対する憤りに近いものがあるのではと思います。
「経済発展のために環境を破壊しなければいけない」
「先進国は環境破壊で発展してきた、だから新興国もその権利があるだろう」
「お金の都合で森林火災を消化できない」
といったいわゆる「大人の都合」的なものにぶつけようのない怒りを覚える、これがトゥーンベリさんの行動力の源になったのでは、とも個人的に考えております。
自己肯定を生み出すための自己否定
・自己肯定とは「自己実現欲求を抱くこと」である。密かに持っている「謎の使命感」が動機づけになることで周りの人がやらないようなことをする。
「自己投資」という言葉もありますが、これも広義の自己否定にカテゴライズできるでしょう。
「勉強は一番の自己投資である」という言い回しも時折耳にしますが、いかにもアスペルガーが好みそうな表現ですね。