【李徴と青葉真司】病的な自尊心は精神を蝕む 「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」について
中島敦 山月記、名人伝、悟浄出世、弟子 他【電子書籍】[ 中島敦 ]
人間であった時、己は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。
出典:中島敦 山月記
虎になる素質「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」とは:病的な自尊心は精神を蝕む
前の記事では「自己受容」「自己愛」「自負心」について紹介しましたが、山月記の李徴はまさに「自己受容が欠けている人」だと思いました。
李徴はいわゆる「自己愛性パーソナリティ障害」だったのではないかともよく言われるらしいです。
自己愛性パーソナリティ障害(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英: Narcissistic personality disorder ; NPD)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である[1]。
虎になった理由:「虎」は「呪われた自尊心」の象徴であった
- 自己受容の欠如が劣等感を増幅させ、劣等感の防衛機制が自己愛を増幅させ、「病的な自尊心」に精神を蝕まれるようになってしまった。
- 一見単なるプライドの高い人やナルシストに見えるけど、本当は「他人の評価を避けつつも他人の評価に飢え続けていた」。
- 病的な自尊心を保つために集団から孤立し、自己表現、自己実現の場を失ってしまった。
こう考えると「病的な自尊心」を通り越して「呪われた自尊心」ですね。
つまり「虎」は「呪われた自尊心」の象徴であったと。
自己愛性パーソナリティ障害の症状は、高い自尊心と自信を備えた個人の特徴とも似通っていると捉えることができる。そこに違いが生じるのは、これらの特徴を生み出す、基底にある心理機構が病理的であるかどうかである。自己愛性パーソナリティ障害の人物は人より優れているという固有の高い自己価値感を有しているが、実際には脆く崩れやすい自尊心を抱えている。批判を処理することができず、自己価値観を正当化する試みとして、しばしば他者を蔑み軽んじることで内在された自己の脆弱性を補おうとする。
中島敦 山月記、名人伝、悟浄出世、弟子 他【電子書籍】[ 中島敦 ]
己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。
出典:中島敦 山月記
青葉と李徴:「病的な自尊心」とは何か
35人が犠牲になった京都アニメーション放火殺人事件の容疑者、青葉真司の動機は「彼自身が応募した小説」であったと報道されています。
青葉も「自分の作品を社会に見つめてもらうことが唯一の自己価値であると思い込んでしまった」「自己肯定感(自己受容)の欠如から、他人からの評価、自己有用感に飢えていた」という点では青葉と李徴は共通する部分があると言えるでしょう。
誰しもが「虎」になる資質を持っているのだと、今回の事件を通して認識させられました。
統合失調症は都合の良い病気なのか、精神障害者は犯罪者予備軍なのか
また、青葉は統合失調症を患っており、精神障害者保健福祉手帳にも認定されている事実が判決にどう影響するかについても話題になっています。
つい最近も統合失調症患者が起こした事故の無罪判決が波紋を広げましたね。
浜松市で車を暴走させ、5人を死傷させた罪に問われた女に対し、東京高裁は一審の判決を破棄して無罪を言い渡しました。
東区の中国籍于静被告は、4年前中区鍛治町の交差点で車を暴走させて次々に歩行者をはね、水鳥真希さんを死亡させた他、4人にケガをさせたとして一審で懲役8年の判決を受けました。
この記事は8月29日のものですが、試しに今Twitterの検索窓に「統合失調症」と入力してみても「無罪」「都合の良い」といったキーワードがサジェスト(予測表示)されます(9月2日現在)。
統合失調症なら人を轢き殺しても無罪とした判決に、妻を殺された夫「そんな都合のいい病気で無罪になるなんておかしい。」 : ハムスター速報
— 代理人 ✰ (@dairinin965) August 30, 2019
他人事ではないな。本当に https://t.co/HlVuZKnOfT
【参考】刑法39条:責任能力とは何か
生来的に持っている発達障害と外的要因によって生じる精神疾患は別物ですが、刑法上の「責任能力」という観点からすると同じように扱われ、「障害者は犯罪者予備軍」という先入観を持たれてしまうことがあります。
確かに責任能力の有無には精神疾患や発達障害が考慮されますが、あくまでも判断材料であって、決して都合の良い病気ではない、ということは広く認知されてほしいと思います。
心神喪失および心神耗弱の例としては、精神障害や知的障害・発達障害などの病的疾患、麻薬・覚せい剤の使用によるもの、飲酒による酩酊などが挙げられる。ここにいう心神喪失・心神耗弱は、医学上および心理学上の判断を元に、最終的には「そのものを罰するだけの責任を認め得るか」という裁判官による規範的評価によって判断される。特に覚せい剤の使用に伴う犯罪などに関してはこの点が問題となることが多いが、判例ではアルコールの大量摂取や薬物(麻薬、覚せい剤など)などで故意に心神喪失・心神耗弱に陥った場合、刑法第39条第1項・第2項は適用されない(「原因において自由な行為」論)としている[4]。
そもそも「精神障害は都合の良い病気だ」と批判するのは「精神障害者は犯罪者予備軍だ」と言っているようなもので、当事者にとっては「全く都合よくない」ですよね。この議論には当事者の尊厳を傷つける以外の意義は何もないでしょう。
精神病は免罪符ではありません。
この度、新しいkindle書籍を出版しました。よろしくお願い致します。
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題名:発達障害ライフハック: マクロに見るか?ミクロに見るか?
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自己肯定感には3つの要素「自己愛」「自負心」「自己受容」がある。
— S-kindle☽ASD☘アスペルガー大学生 (@shotaro_kindle) August 28, 2019
その中で「自己受容」は軽視されがちなのではないでしょうか。
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