理性とは感情のカテゴライズ能力であり、論理のキュレーション能力である。
- キュレーション能力とは「まとめる能力」である
- 赤ちゃんの感情はどのように発達していくか
- アスペルガーは論理のキュレーションは得意だが感情のカテゴライズが出来ていない
- 感情のカテゴライズは出来ているけど論理のキュレーションが出来ていない
謙遜は人間には当たり前だが、子どもには当たり前でない。謙遜は悪を知ってからでなければ身につかない。
キュレーション能力とは「まとめる能力」である
キュレーションとは、情報を選別して編集することで新たな意味や価値を付加することを指します。
日本人の最も多い悩みのジャンルとしてとして「就職」「進学・進路」「交友関係」「人生相談」などがあるが、その中でも一番多いのが「自分が何をしたいかわからない」という人が多いことが研究されている。解決策のために様々な方法が提供されるインターネット上の大量の情報を収集・整理し他のユーザー(読者)に共有する行為や行為者を指す言葉として[4]、キュレーションという言葉が2010年頃から使われるようになり、「NAVERまとめ」や「Google」「Yahoo!」といった検索エンジンもキュレーションサイトとしての地位を確立されてきた。多くのインターネットキュレーターが情報をまとめたことによって、インターネット利用者はたくさんの情報が瞬時に得られることになった。
『NEVERまとめ』『Togetter』などといった所謂「まとめサイト」はキュレーションサイトと呼ばれています。
キュレーションサイトはいわゆる「コピペサイト」でもありますが、一つのテーマにカテゴライズされた情報から重要なものを抽出して整理することにより、キュレーションサイトは独自のコンテンツとして機能を果たしているというわけです。
このように、自身の考えやそれを裏付ける情報を抽出して整理する能力は、関心や共感を集める上でも重要だということは今や一目瞭然でしょう。
関心や共感を集める力はアウトプットのモチベーションになり、インプットの量と質を向上させることにもつながる、と僕は思います。
赤ちゃんの感情はどのように発達していくか
発達心理学的に見ても「人は感情のカテゴライズにより、多くの情報を意味あるものとしてインプットすることが出来るようになる」と言えるでしょう。
- 最初に「興奮」があってそれに生後3ヶ月くらいで「快」「不快」が加わる
- 生後6か月頃には「不快」が「怒り」「嫌悪」「恐れ」に分化する
- 一歳から二歳頃にかけて「快」が「得意」「愛」「よろこび」に分化する
基本的感情とは「喜び」「悲しみ」「嫌悪」「怒り」「恐れ」「驚き」の6つで、生後六ヶ月ごろまでにほぼ発達するとされています。その発達を促すためには、お子さんの認知能力の発達や親子の愛着関係の発達がうまくすすんでいることが大切であるとされています。
一方で「共感」や「誇り」「恥」「罪悪感」といった善悪の判断に関する感情は高度な感情と言われています。
アスペルガーは論理のキュレーションは得意だが感情のカテゴライズが出来ていない
「理性がない人の言動=幼稚な行動」とイメージする方は多いと思いますが、「一概に幼稚とは言えないけど、理性のある人とは言えない言動」というのはよく観測されることでしょう。これは誰にでもあることなのかも知れません。
他の記事でも紹介しましたが、アスペルガーは論理的で真面目な印象がある一方で頑固な一面もあると。
誤解を恐れずに言うと、「一概に幼稚とは言えないけど、理性のある人とは言えない」典型例ではないでしょうか。
アスペルガーは全てを包括する完璧な論理を求めてしまいがちなため、分類する、区別することを嫌うという傾向は少なからずあるのではないかと僕自身は認識しております。
※「区別する」と考えるより「タグを付ける」と考えた方がいいかも知れません。
そんなわけで、自分の論理を優先するあまり都合の良い悪いことは考えない、あるいは間違っていると決めつけるといった本末転倒な考え、いわゆるストローマン論法的思考に陥りがちであると。
感情のカテゴライズが出来ていなければ論理は破綻してしまう、支離滅裂な屁理屈になってしまうというわけですね。
他人をストローマン論法的に言いくるめようとはしなくとも、常に他人の言葉尻を捕らえ都合の良い解釈をする人間になってしまえば人としての信頼性を落とすばかりではなく、自身も合理的な思考が出来なくなってしまうでしょう。
相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたる誤謬であり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭弁である。
「詭弁」については他の記事でも取り上げております、
今回は主語をアスペルガーに限りましたが、これに当てはまる人は自閉症だと言っているわけではありません。しかし、ASD当事者である自分にとって「詭弁」「誤謬」といった概念は自戒の意味でも頭の片隅に置いておきたい考えではあります。
感情のカテゴライズは出来ているけど論理のキュレーションが出来ていない
自分は何に興味があるのかを自己分析するキュレーション能力はインプットの量と質を高める上で重要でしょうし、アウトプットへのモチベーションにもなるでしょう。
「キュレーション能力はこれからの時代に必須!」という記事も見かけますが、キュレーション能力があると出世しやすいというより、キュレーション能力があり「自分の論理的思考を育てたい」というモチベーションがある人ほど「より質の高いインプット環境を求める」とも言えるのではないでしょうか。
いわゆる「自己実現欲求」ですね。
一方で感情のカテゴライズは出来ているけど論理のキュレーションが出来ていない、あるいはしていない人は何なのかというと「アイデンティティの軽視」であろうと個人的に思います。
別に自分が気にしてなければ困ることはないかもしれないし、このような人が多数派なのかもしれない。
しかし、「アイデンティティを持つこと」と「情報をキュレーション」することで培われる「独自の視点」いわゆる「慧眼」というものはいつの時代でも重宝されてきた能力だろうし、超情報化社会と言われる現在ではさらに必要性が増す能力だろうとも、個人的に思います。
対人関係の問題解決において有効な解決手段は様々あるが、中でも有名なジャンルとして確立されているのはカウンセリングや、コーチングなどがある。それらとキュレーションの最大の違いは体系化された情報整理である。情報の構成要素を分解・分析する技術によって答えがでるとされている。問題解決能力の高さという点ではビジネスやスポーツ業界に応用が期待されており、東京オリンピックに向けて注目されている技術の一つ。
ASDは察することが苦手、メタコミュニケーションが苦手、という傾向がありますが、根本には「価値観の共有」があるのでは。
— S-kindle☽ASD☘アスペルガー大学生 (@shotaro_kindle) September 9, 2019
【価値観の多様性】ハイコンテクストとローコンテクストについて #発達障害 #ASD #はてなブログ https://t.co/wp1uEUeFeU
文化的に豊かではあるが、均質化された社会である日本では集団浅慮に陥りがち。論理的説明力よりも「察する力」が重視されるという点で日本社会はいわゆる「ハイコンテクスト文化」に分類されているが、ポジショントークと忖度に飽き飽きしている人も大勢いることだろう。