アスペルガー大学生

略歴:1999年生まれ。北海道出身。東京に住んでいたこともある。中学校2年生のときに自閉スペクトラム症(ASD)、社交不安障害(SAD)と診断される。2022年現在診断名はアスペルガー症候群(ASD)のみであり、スキゾイドパーソナリティ障害の可能性もあると考えている。小学生時代に2度の引っ越しと両親の離婚を経験している。一年の自宅浪人を経て北海道大学に入学する。2018年2月28日からアマゾンkindleに電子書籍配信。Twitter:@ShotaroKindle

【幸せの多様性】トルストイ「すべての幸福な家庭は互いに似ている」

 

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Twitterでは「家庭環境・親子関係と発達障害の関連性」についてがよく話題になっているのを散見しますが、

 

ロシアの作家・小説家として有名であるトルストイはこのような言葉を残しています。

 

すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。
アンナ・カレーニナ』冒頭。

出典:レフ・トルストイ - Wikiquote

アンナ・カレーニナ 完全版【電子書籍】[ トルストイ ]

 

ということで、今回はこの言葉を起点に「幸せの多様性」について考えてみました。

 

「自由と幸福はトレードオフの関係にある」は「不幸な考え」

 

このトルストイの言葉には様々な解釈があるそうですが、この言葉をそのまま読み取ると、

 

  • 幸せには一通りしかない
  • 幸福はただ一つ定められたものであり、それ以外は幸福ではない

 

とも聞こえてしまいます。確かに「幸せとは」を考えてみると

 

  • 職場で信頼を得ている
  • 心身ともに健康である
  • 平穏な家庭を持っている
  • 適度な刺激があり成長できる環境にある
  • 安定した社会生活を送れるための収入・地位がある

 

などいろいろ思いつきますが、これらは結局のところ

 

「幸せになる」

「やりたいことをやる」

 

ための過程でしかなく、

 

「幸せを維持するには犠牲がつきものだ」

「幸せは対価を払って維持するもの」

 

という考えがつい頭をよぎってしまいます。

 

「不安定な方がより成長できる」

「安定にしがみついては本当にやりたいことはできない」

 

という人もいるけど、それは「生存者バイアス」でしかなく、

 

「社会的信頼を得ること」こそが「幸せ」として世間一般には認知されているのではないか、と考えてしまう。

 

確かに事実だとは思いますが、でもちょっと違う気もする、仮に

 

「あなたにとって幸せとは何だと思いますか?」

 

と尋ねられて「安定した暮らしが~」「平穏な家庭~」「心身ともに健康~」みたいな返答をするのはなんだか「負け」な気がしてしまう。

 

「これはある意味社会に毒された考えなのかも知れない」と思うからです。

 

そもそも「幸せと自由は両立できない、トレードオフの関係にある」という考えは「不幸な考え」ではないでしょうか。

 

この考えでいくと

 

「本当に幸せなのは挫折や苦労を知らない資産家一家の子供だけ」

 

みたいな結論になってしまいますしね。

 

「こんなこと考えない方がいい」ではなく「自分の考え方が違う」という意識を持とう

 

完璧主義に陥りがちなアスペルガーはこのような極論に陥りがちですが、

 

  • こんなことは考えない方がいい
  • 知らない方がいい現実もある

 

と開き直るのではなく、「そもそもこの考えは間違っているのでは?という意識を持つことも大切だと思います。

 

「極論」についてはこの記事でも取り上げています。

kindle-asd.hatenablog.com

 

 

自閉症スペクトラムASD)は「感情を軽視してしまう」だけで「感情がない」わけではない

 

アスペルガーはひたすら論理的なように見えて

 

「自分は真剣に考えているんだから間違えているはずがない」

「だから他人が適当なことを言うな」

 

という感情的な部分も、もちろん存在します。

 

あくまで「感情を軽視してしまう」「感情を自覚出来ない」だけで「感情がない」わけではないと。

 

ある意味当事者同士の交流が最も盛んだといえるTwitterでは「自閉スペクトラム症ASDHSPの特性が似ている」ことが話題になったりもしていますが、アスペルガーはむしろ感受性が強い人が多いのです。

 

アスペルガー大学生(@shotaro_kindle)」のTwitterアカウントはこちら

 

ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り [ ニック・ビルトン ]

 

例えば「感受性」で検索してみてもHSPの記事は上位に見られますね。僕はHSPのことをTwitterで知りましたが、HSPに関心のある方は多いようです。

 

「ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)」という言葉は、1996年にエレイン・N・アーロン博士が考案した[7]。他にHSPの子供時代を指す語として「HSC(Highly Sensitive Child)」、HSPの3割を占める、外交的で好奇心が強いタイプを指す「HSS:High-Sensation Seeking・刺激探求型」などがある[8]。

出典:ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia

 「物事をより細かく感じ取り、あらゆることに影響を受けやすい」というHSPの特性は、生まれて間もないころか発現され、無意識に情報を潜在記憶に取り込みやすい。それゆえHSPの子供(=HSC)は、良くも悪くも養育環境から強い影響を受け、より敏感に反映していく。愛着に満ちた安定した養育環境で育てば、より安定した大人に育つが、不安定な養育環境で育つと、ひときわ不安定な人生に苦しむ。

出典:ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia

生まれつき感情や社会性をつかさどる右脳が活発。ただし「右脳タイプ」というわけではなく、上記の様な「優れた言語能力」や「深い思考」に見られるように、左脳の能力も十分に発達させる。HSP/非HSPに関係なく、人間の脳は 「言葉や、意味の分析・解釈は左脳」「言葉によらない感覚処理は右脳」で処理し、右脳が先に発達し、左脳は遅れて発達する。HSPにおいても10代にさしかかり、左脳の能力が発達してくると大人びた美的センスや、鋭い洞察力を見せる様になる。右脳で得た深く細やかな感覚データを、左脳で適切に処理できる様になる為である[20]。

出典:ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia

 

HSP発達障害はあくまでも別物です。

 

話が逸れましたが、当事者としては興味深いですね。

 

 

 「不幸」の存在を忘れたものは「不幸」ではないが、「幸せ」の存在を忘れたものは「幸せ」である。

 

「本当に幸せな人は自分が幸せであることを忘れている」

 

というニュアンスの言葉もありますが、やはりなにも悩みがなく、なおかつ好きなことだけを考えていられる、いわば「小学生の夏休み」のような状態が、ある意味本当の幸せといえるのではないかな、と今回ふと思いました。

 

実際に考えてみると実感しましたが「幸せという概念は考えにくい」ということに今回気づきました。

 

例えば、Twitterでは不幸自慢をする人が多い」と言われるのも、

 

「他人の幸せから学べる秘訣はほとんどないが、他人の不幸からは学べることが多いし共感されやすい」

 

という側面も大きいのではないでしょうか。

 

 

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kindle-asd.hatenablog.com

 

今回の記事でも『ウィキクォート(wikiquote)』を利用しました。『ウィキクォート(wikiquote)』についてはこちらで紹介しております。

kinase.hateblo.jp