【離人症的思考】「思春期の社会不安」は人格を分裂・複雑化させる
タイトル:【ASDの離人症的思考】「思春期の社会不安」は人格を分裂・複雑化させるが、それは単なる回避行動でしかない。回避行動は現実逃避ではなく防衛機制である。
はじめに:本記事は「離人症」について言及していますが、全て私(@ShotaroKindle)の主観と偏見ですのでご容赦ください。
思春期の離人症
私が普段呟いているツイートの一つにこんなものがあります。
限界を超えるストレスは脳の委縮、ボケる、離人症、等を引き起こします。
— S-kindle☽ASD☘アスペルガー大学生 (@ShotaroKindle) June 17, 2022
「年を取って丸くなる」なんて表現もありますが、それは能力の凹が改善された場合、凸の部分が萎縮した(出る杭は打たれた)場合、の両方があるのではないか。#ギフテッド #2E #発達凸凹 #発達障害
なにか意味深なことを隠していそうな表現にしているつもりですが、他者からみて私のアカウント(@ShotaroKindle)はどのように見えているのかな?というのが最近気になっている今日この頃です。
「離人症」という普通は使わないワードが登場しました(というか登場させました)。
「離人症」とは言っても大袈裟なものではなく、思春期に
「自分が自分でないような気になる」
「自分のことなのに他人事だと思ってしまう」
みたいな心境になる現象でしかありません。
病的になってくると「解離性同一性障害」のような精神疾患になるのでしょうが。
(前文もネットで調べたことの単なる受け売りですので、信頼性の高い情報源に当たってください。)
※追記:ここまでの部分をツイート風にまとめました。
「自分のことなのに他人事だと思ってしまう」など「軽い離人症」は思春期にあることかと思います
「離人症的思考」は「社会に対する恐怖」「対人恐怖」への単なる回避行動であり、病的(解離性同一性障害・多重人格)等と見做すのは現実逃避ではないか
「他の人はカボチャと思いなさい」
話を戻します。
冒頭で紹介したツイートを見返してみて、いわゆる「離人症的思考」は、社会不安障害(社交不安障害,Social Anxiety Disorder: SAD)、いわゆる「対人恐怖」を克服する上で役に立つのではないか、とふと考え付いたので、今回記事にしてみました。
「離人症的思考」とはいっても、
「自分は怒られているけど本当は今の自分は自分でなくて──」
みたいな荒唐無稽なことを言っているわけではありません。(※個人メモ:「万物は流転する」を連想しました)
例えば
よく緊張する子供に対して「他の人はカボチャ(じゃがいも)と思いなさい」と言う場面が毎日どこかしらであることと思います。(地域の「ご当地ネタ」とかだったらすみません。)
私はこの現象を
「荒唐無稽なことを言ってリラックスさせようとしているのではないか」
と今まで解釈していましたが、「離人症的思考」に立ってみると全く逆と言ってもいいかもしれません。
みなさんはどう考えますか?
結論:『他者も自分も動物であり「多様な習性」がある』という観点
自分は「〇〇(ここに氏名が入る)」という動物だと思われている。
↓
他者は一人一人「動物」であり、それぞれ氏名がある(同姓同名は例外とする)。
↓
他者の言動も「この人は今は興奮しているだけ」のように俯瞰した視点を持つことで冷静さ・精神的余裕を保つことが出来る
↓
『他者も自分も動物であり「多様な習性」がある』という観点を日頃から持つことで、ヒト以外の動物などにも興味が出てくるのではないか
↓
結果としては他者や自分を冷静に見ることが出来ることでQOLも上がるのではないか
(個人メモ:こうしてみると「中2病的」な傾向もあるかもしれない。奇想天外な言動をみると「恥ずかしい」「痛々しい」という気分になるが、離人症的に考えると全く何も感じていないことになるのではないか。普段の何気ない行動に「面白さ」を見出す姿勢として意義があるのではないか。)
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