「働きたいけど働きたくない」発達障害者はどう生きればいいのか
「働く」という社会的活動自体が人として重要であり、それ以外は極一部の例外を除いては全て些末事にすぎない。少なくとも文化的な人として生きている限りは。
「働く」は社会的活動である。つまり「人」としての義務である。
「働くこと」は義務であり、人生において最も大きな社会的活動の一つでもあります。
でも正直言って働くと疲れますよね。
お金があれば仕事なんてしないのに、と考える人も一定数いることでしょう。
このように考える人は、実は仕事の内容・職種なんてどうでもよくて、「働く」という社会活動そのものが重要だと考えているのかもしれません。
ある意味「悟っている」と。
「自分の代わりなんていくらでもいる。それは自分が劣っているわけではなく、ほんの一握りの天才・偉人を除けば皆同じなんだ」と考えているのではないでしょうか?
私(@ShotaroKindle)はコロコロ考えが変わる気分屋だと自覚していますが、今の心理状態はこんな感じなので今回記事にさせていただきます。
メモのような雑文ですがご容赦ください。
「働く」とは凡人の存在意義の確認であり、自身の「存在価値」を高める社会的活動である
「働く」とは自身の存在意義を高める体験(知識・スキル獲得・他者から褒められたりほめたりする・目標を立てそれに向けて継続的な努力をする)を繰り返し自身に発生させることにより、自身の「存在価値」を高める社会的活動である。
「経験(自身の人生に何らかのイベントを発生させること)」によって、又は「経験」を発生させるために「プロトコル(スケジュール・計画)を作成し、時間を管理する習慣がつく」「給与によって金銭的な余裕が生じる」「体力・メンタル的な気力が鍛えられることにより活動継続可能時間が伸びる」ことにより「行動の幅が広がり、新たなイベントやマップが開拓される」ひいては「生活の質(QOL)が向上する」
このプロセスが「働く」という行為自体の意義であり、文化的な人としての生活を送る為の義務である。